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きままくんの謎・特別編
| はじめに |
| このサイトは、きままくんの謎の部屋の特別編集として谷津遊園をクローズアップしてます。 多くの空中写真が掲載していますが、すべて国土交通省ウェブマッピングシステムよりの 出典です。国土交通省ウェブマッピングシステム約款 ※空中写真以外はきままくんが現地で撮影したものです※ また、現在の谷津遊園地跡はバラ園を除いては、民間の私有地であり、 現在跡地のマンション群に住まわれている方もたくさん居りますので、探索するさいモラルのある行動を よろしくお願いします。 |
厳選リンク!!
現役時代の写真や思い出回顧録は以下のサイト様をご訪問してください。
谷津遊園情報局様「当時の貴重な画像がいっぱい」
※相互リンクありがとうございます。
谷津遊園めもりぃず様「画像や考察など興味津々」
※相互リンクありがとうございます。
| ただいま管理人きままくんがちょっと興味が湧いているもの!!随時探検!! |
| 陸上自衛隊鉄道→鉄道連隊→短期間陸自鉄道部隊。 砲台山ハイランド→千葉県浜金谷の遊園地跡・京成資本か? ※砲台山ハイランドとサイト検索すると出てきます。 昔、東京湾フェリー乗ったときになぜか浜金谷駅の裏手の山に リフトの柱が数本残っていて、家に帰ってなんだろうと調べたら 実は山頂に遊園地があったということと、遊園地は昭和40年中間閉鎖されたが 今でもリフト支柱・リフト・建物一部・池など残っています。 一説には浜金谷は京成資本のグループが鋸山ロープウェイ「今でも京成傘下」や 東京湾フェリーの観光の目玉として遊園地を作ったとの事・未確認現在調べてます 船橋ヘルスセンター→ららぽーとの前身「飛行場・サーキットなど」 幕張新都心変遷 潮干狩りの誘惑 稲毛海岸こじまの謎。生き残った軍艦。 谷津遊園支線→谷津遊園地の支線 印旛飛行場→今でも残る土で作った飛行機格納庫 陸軍佐倉連隊→世にもおそろしい?13階段の謎・・実は お台場の飛行場→東雲飛行場 宗吾さんの鉄道 木更津の鉄道支線→自衛隊・米軍の燃料・物資の支線 ドリフの回転舞台→船橋ヘルスセンター劇場 などなど ![]() 船橋ヘルスセンター・ゴールデンビーチの門付近。 |
管理人・きままくんのブログはこちらより
※きままくんの寄り道的日記※
きままくん「ごようくん」の謎の部屋「遺構・廃線跡」
※廃線跡・昔の空中写真など※
谷津遊園 うみほうずきの思い出・・・・・
きままくんは、谷津遊園が閉園する時、まだ7歳なので、記憶が定かでないが
自宅から数十分でいける遊園地は絶対行っているはずだ。後で親に聞いたら行ってるよと即答??
閉園一年後、谷津遊園の発展系、東京ディズニーランドは開園後すぐに行っている。
谷津遊園は京成電鉄直営の遊園として最後の最後まで黒字経営の遊園地だったが
成田空港の遅れの設備投資失敗の負債処理や投資の失敗など、余儀なくされた。
人員解雇や売れるものはなんでも売ろうということで傘下企業や所有土地など
売り、そして谷津遊園地敷地を売却などして企業の建て直しに成功。ただ東京ディズニーランドは、
考案者「発起人」は京成で、賛同したのが京成の当時の社長の古い友人の三井不動産の社長の縁で
京成と三井不動産が共同して運営していたので、継続した。
京成直営の遊園地ではないけど、今の東京ディズニーランドは谷津遊園の生まれ変わりでもある。
さて、谷津遊園地は大正から昭和50年代後半まであったのだが、現在も縁の物がたくさんある。
ディズニーランドを作るきっかけはバラ
谷津遊園に展示する新種のバラを買いに行くため当時の京成電鉄の社長さんがアメリカに行って、
ディズニーランドをみて、日本にこんなのが作れたらいいなぁと思ったのがそもそもの
東京ディズニーランドを作るきっかけは、あまりにも有名です。
谷津遊園でも、アメリカのディズニーランドの雰囲気が一部あったみたいです。
| 名称・物・場所 | 内容 | 備考 |
| 習志野市バラ園 | 谷津遊園バラ園を敷地一部縮小をして 施設等改修し継続利用。 円形花壇、彫刻、広場などそのまま利用 谷津遊園閉園後、バラ園付近の一部を 除いて、更地になったか、なぜかマンション とか建っても、バラ園のみは、なにも手入れされず 荒れ放題で残された。 数年後、習志野市が再整備をしてオープンしたので 数年間のブランクがある。 |
谷津遊園の京成のバラ園芸事業は 施設を移動し継続。八千代市内に 京成バラ園として開園。 研究農場などの設備をもちバラ園芸事業は 国内でもトップクラス。 ちなみに今も谷津バラ園にバラの提供 をしている。 |
| 巨人軍発祥の地 | 昭和初期、巨人の母体の野球チームの筆頭株主が 京成だったので、当時谷津遊園内の野球場で 編成試合をした。ベーブルースも来た事がある。 手形等記念碑が残る。 |
東京読売巨人軍ではなく 千葉読売巨人軍とねたにされる。 |
| 谷津遊園ハイツほか | 付近のアパート、マンションには谷津遊園と ついてる名称がいまでもある。 |
谷津遊園跡地のマンションは 谷津パークハイツなど |
| 松の謎 | 習志野市バラ園の裏手に一部、なぜか松の木が ある。 これも谷津遊園時代のそのままの松だ。 20年以上経つので、当時なかった松の木も 出てきている。 |
バラ園裏手や第二駐車場付近など |
| 護岸のなぞ | 谷津干潟の散歩道より護岸のコンクリートを 見ていると一部、なんかの跡があったり 一段高くなっていたりする。 特に谷津バラ園から散歩道での最初の観察所 付近、小学校グランドあたりは、谷津遊園地の敷地と 海「干潟」の境界線なのである。 小学校体育館付近は海上ジェットコースターがあり 閉園後埋め立て。護岸が後から出来たので 護岸のコンクリートが一段高くなっている。 |
谷津遊園敷地内の護岸はかなり古い 護岸のコンクリートだ。 |
| 看板の謎 | 小学校横の敷地は数年前まで、更地だった。 バスの折り返し所などに利用されていたが、 所有者京成電鉄と看板が敷地に立っており、 谷津遊園地時代、この辺は干潟だったので 閉園後埋め立てたので、経緯は不明。 現在のリハビリ病院の前は京成電鉄体育館が あった。 |
谷津遊園敷地の変遷
![]() 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 ※管理人加工 |
昭和49年閉園8年前の航空写真。 海上コースターの一部海上へ突出。 すでに干潟化していた。 |
![]() 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 ※管理人加工 |
閉園3年前。 コースタ部分は改装工事中。 |
![]() 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 ※管理人加工 |
昭和59年、閉園一年後の写真。 敷地内の遊具や建物は 撤去されたが、海上コースター の突出する部分など埋め立てにより 整備。ただ遊園地自体の敷地の整地は まったくしていない。 |
![]() 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 ※管理人加工 |
閉園5年後、敷地は整備され、 公団のマンション団地が建つが バラ園は習志野市に移管され 一部敷地を縮小し、継続。 当時の谷津遊園からの広場は、 習志野市の緑地広場としてデザイン 変更する。 埋立地に谷津南小開設。 体育館付近が海上コースタ付近 |

国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 ※管理人加工
a・G桟橋?謎の遺構
空中写真を見ていると、T型の桟橋のようにも見える。
サイトで、昭和40年代後半には桟橋が朽ち果てていたという状況から、
国土交通省のアーカイブの昭和41年・45年に桟橋が確認できる。まだ干潟ではなかったために
潮干狩りが出来たものと思われる。
管理人きままくん撮影
a・護岸に一段高くなった部分あり。金具も発見。
aの金具。
管理人きままくん撮影
管理人きままくん撮影
Gは、aの桟橋跡のコンクリートの質と違い、あきらかにかなり古い。ブロックずみ
Gの桟橋の残骸だと思われる橋げたの一部か?
![]() |
aの桟橋は、たぶんGよりか新しく作られたと思う。 空中写真をみるとT型に見えるので、埋め立てられるまでの 船の発着乗り場か? 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 ※管理人加工 |
遊園地敷地と閉園後のあらたな埋立地の境界線。
あきらかに一段違うし、コンクリートの質感や護岸の起訴が違う。
劣化のため、コンクリートの真ん中に草が生えている。
境界線付近。右の体育館の屋根付近を海上コースターが通っていた。

昭和54年国土交通省出典。

国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 ※管理人加工
昭和59年閉園後、遊園地と埋め立て地の境界線の護岸の違いがはっきりとわかる。
桟橋は撤去。
d付近
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